下山事件~戦後のミステリー

昭和中期、戦後最大のミステリーと言われた下山国鉄総裁の轢死事件。 以前から興味があり、個人ホームページを立ち上げた初期の1997年頃に書いたものを、ブログとして再度立ち上げました。 内容に関しては、随時見直しつつ加筆していきます。

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昭和中期、戦後最大のミステリーと言われた下山国鉄総裁の轢死事件。
以前から興味があり、個人ホームページを立ち上げた初期の1997年頃に書いたものを、ブログとして再度立ち上げました。
内容に関しては、随時見直しつつ加筆していきます。
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更新情報

[遺体検分]分区長は警察へ急報の必要を感じ、現場から近い西新井署五反野南町駐在所に、 駐在所の巡査は分区長の報告を受け西新井署に報告するとともに現場に向かった。 遺体は首・胴体・右腕・左脚・右足首に轢断されており、グレーの上着・白いワイシャツ・茶色の靴・時計
『遺体検分~捜査そして終結』の画像

[昭和24年(1949)年7月5日]昭和24年(1949)年7月5日とは、下山総裁が出勤途中で行方不明となった日である。捜査などの資料から、この日の総裁の行動には不可解な点が多い。下山総裁を乗せた大西運転手の証言では。東京市大田区上池上町の自宅を8時20分に総
『失踪当日の行動~遺体発見』の画像

下山総裁の轢断死体を発見したのは、松戸行きの下り最終電車である。足立区五反野南町の、東武鉄道との交差点ガード付近を通過中、運転手が小雨に濡れた線路上に、死体らしき物を発見。次停車駅である綾瀬駅に到着するとホームにいた助役に知らせたのである。「おい、東武線
『下山事件概略~③』の画像

下山総裁の消息が不明のまま、失踪から15時間後の翌6日午前12時20分、常磐線綾瀬駅と北千住駅間の東武伊勢崎線ガード下付近で、下山総裁の轢断死体が発見された。遺体を発見したのは上野発松戸行きの国鉄常磐線最終電車であるが、轢断したのはその6分前に現場を通過
『下山事件概略~②』の画像

7月5日午前8時20分頃に下山総裁は上池上の自宅を国鉄の総裁用乗用車ビュイック1941年式で出勤した。いつもの通り大西運転手が運転していたが、車は下村総裁の指示で迷走したのである。銀座・白木屋前電車通り~三越本店前電車通リ~神田駅西口通路前~丸の内・千代
『下山事件概略~①』の画像

7月2日の真夜中にはシャグノン中佐が国鉄本社に現れ下山総裁の呼び出しを迫った。下山総裁は自宅に居たが、中佐が「今、東京駅にいる。すぐ出て来い!」と命令、下山総裁は「午前1時だし、車も運転手も帰ったから、それは無理だ」と答えた。結果としてシャグノン中佐は下
『下山総裁、前日までの行動』の画像

昭和24年(1949)6月1日に日本国有鉄道が公共事業体として発足、初代総裁として前運輸次官の下山氏が就任した。それまでの過程で政府は初代国鉄総裁の人選に頭を痛めていた。政財界でも候補者がピックアップされたが、大量解雇が最初の仕事というのは周知の事実であっ
『下山総裁誕生の時代背景』の画像

太平洋戦争が昭和20年に終戦となり、日本国内はアメリカを中心とする連合軍総司令部(進駐軍)によって統制されていた。下山事件は、東京をはじめ、日本全国に渡り連合国主導の元で民主化が計られる最中の昭和24年(1949)、東武伊勢崎沿線(正確には北千住から春日部方
『はじめに』の画像

東京都足立区西綾瀬(当時・五反野南町)のJR常磐線と東武伊勢崎線が交差する高架を見上げると、電車が間断なく通過する。1949年7月6日、当時もこの地にあった国鉄常磐線の北千住―綾瀬間の線路上で国鉄の初代総裁、下山定則総裁(当時47)の轢死体が発見された。これが世に
『下山事件とは』の画像

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